カテゴリー別アーカイブ: 📖 archives/217

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📖 ㉒

やけに頭から冷えるなと目を覚まし、おもむろに手を添えるとジョリジョリと丸坊主。ああ、そうか…。鏡で確認すると頭頂部にサインペンで“祝・一周年”の文字。普段ならゲストへ座っていただく為のカットチェアーへ自ら腰掛け、集ってくださったゲスト達に少しづつ髪の毛を切ってもらった。そんな周年イベント明けの朝だった。

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📖㉑

『夏季休暇の日程…どうしたら良いだろうか…』初の長期休暇を前に片肘ついて8月のカレンダーを眺め倦ねていた。日程がなかなか決められない。店のメニューや方針、扱う商材から運営に纏わるあれこれ。その中には当然のように長期休暇の日程も含まれていた。ゲストの休暇をうかがい、業種別に休みを調べ、美容ディーラーへもアドバイスを貰えるように煽る。大袈裟な話だが、それでも安易に決められずにいた。“長期休暇の決め方”という指南書があれば直ぐにでも買いに走りたい気分。決局は長いものには巻かれろ精神で“お盆休み”の最中に決定。その頃ほどではないものの、未だに長期休暇の日程については決断が揺るいでしまう。そして、4年前の夏。もう一つの決断が迫っている事への焦りと不安を感じずにはいられなかった。

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📖⑳

オープンから半年を過ぎた頃。店内に余していた空間はインテリアや植物によって彩られていた。壁や床・天井の無機質なコンクリートに対し、生き生きとした観葉植物や古めかしい木材家具。中でもお気に入りはスチール製の用途不明廃棄物。オープン前にスクラップ工場にて譲ってもらった物で、スチール製のキャストや身の丈を越すロッカーなども鎮座している。たまたま通り掛かったスクラップ工場では見たこともない形の照明器具が二つ。話を聞くと公園などに設置される背の高い照明の頭の部分ではないかということだったが、その元照明をインテリアとして再利用できないかと考えた。仕事中だというのに咄嗟に押しかけられ、変な交渉が始まるわけだから傍迷惑だったろう。最初こそ戸惑った様子。背景を説明し『お代は言い値で構いませんから』と、更に一押し。「わかった、わかった。じゃあ、重さを量ってくるからそこで待っとけ」と。スクラップになるものは用途や形は関係なく、重さそのものが価値へと変わるらしい。その後も度々押しかけては物色し、オープンに至り挨拶へ向かった際には「おお、兄ちゃん」と馴染みのような扱いをしてくださった。そして、その元照明器具に再び明かりを灯してくれた友人がいた。専門的な知識と技術を持ち合わせる彼は自分の要望にも難なく対応してくれた。「この重さだったら一つ500円だな」と、笑顔で譲ってくれた廃材は今や値を付けられない価値へと変わっている。

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📖 ⑲

今よりも店内入口にスペースがあり、コンクリート打ちっ放しの壁だった頃。写真家や陶芸家へ貸し出し、期間限定のギャラリースペースを開設したことがあった。物作りに励む作家は少なくない。個々の思いが詰まった作品を世に知らすネットワークも以前に比べ広がりを感じる。ところが、実際に個展を開くとなると課題は山積み。実際に自身もそんな経験をしたことがあった。費用はもちろん、搬入から撤去に至るまでの日程調整など、ギャラリーを探すだけでも一苦労と聞く。名のあるギャラリーと比べれば有益な環境とは言えないが、以前から作家の活動を応援したいという思いがあった。しばらくすると作家として活動なさるゲストへの貸し出しが決定する。普段はゲストと美容師。期間中は作家と美容師へと変わった。展示の準備段階ですら作家としての表情や作品への思いを肌で感じたじろぎ、なかなか声を掛ける事が出来なかったのを思い出す。ギャラリー開催中は社交場と呼ぶに相応しい雰囲気で、いつものヘアーサロンの顔とは違った。当サロンコンセプトでは“サロン(仏:Salon)とは社交場・談話室という意味合い、今後のヘアーサロンの方向性を思案”と謳っている。そんな生意気なコンセプトも掲げているものだから、自分自身にもそれなりに達成と高揚感があった。ただ振り返ってみると、普段とは違うゲストの表情や共有できた時間が何よりも貴重だったのだと感じる。以前と比べ、貸し出せるスペースに限りが出来てしまったものの現在も引き続き受付を行っている。

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📖 ⑱

店舗を開業するためテナントを探していた頃の話。勤務先の美容室にて業務が終わると物件探しに出かけ、休日ともなれば丸一日かけて物件を案内してもらう日が続いていた。50近くの物件へ足を運び、机上では100件を超える資料に目を通していた。それ以下ということはないものの、振り返ってみるとこの数字は不確かかもしれない。だいぶ記憶があやふやになってきている。とにかく、“物件との縁”に恵まれることはなかった。そんな矢先にふらっと立ち寄った仲介不動産で「明日にでも室内を案内しますよ」とグイグイ引っ張られるようにして紹介されたのが現在のテナント。指定の立地内に所在するわけでなく希望の坪数とも大幅に違う。自分の話を本当に聞いてくれているのか疑問にすら思った。ところが、決断に至るまで時間は掛からなかった。“ピンときた”と言うのか、将来的に良いイメージが湧いた。契約を行った当初は地下1階から7階まであるフロアのうち、テナントが入っていたのが二つのフロアのみ。ビルの仲介業者曰く、内外装を改めて刷新する予定で新規店舗にも打ってつけの物件との事だった。そういえば、自らが行った解体中に「わざわざ自分でしなくても…」と反対した唯一の人物がこの人だった。当然、心配してくださっていたのだと思うけど、半分は「できるわけないでしょ」という顔もしていた。オープンに至ってからは「安藤さん、いつものアレお願いして良いですか?」と、空きテナントを紹介するにあたってのモデルルームみたく「天井を取っ払うと懐がこれぐらいで、壁を剥がすと…」なんて。こっちは仕事をしているのにお構いなく入居希望者へテナント案内を始めるのだった。暫くしてあれよあれよとテナントが埋まった時は仕事のできる人だなぁと改めて目を丸くさせられたけど、その都度「no217さんをモデルルームにさせてもらっているからですよ」と、明らかにおべんちゃらを言ってくる。こっちも負けじと『マージンでも用意してくれはるんですか?』などと適当な返しをしている。オープンを経て半年が過ぎる頃には間借りをしているビル内が賑やかになっていた。

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📖 ⑰

『シャンプーの講師になってもらえませんか?』そんな依頼をいただいたのは店を始める少し前の話。美容師の資格を取得したいという女性からのお声掛けだった。美容専門学校において、美容師免許を取得するための講義や技術的な実習は数ある中で、シャンプーの授業に割り振られる時間はあまり多くない。それもそのはず、国家試験内にシャンプーという項目がないから。そのため、試験の課題である特定のヘアースタイルは完成に至っても、シャンプーに自信が持てないという声は多い。実践的な経験を積みたいという彼女は美容専門学校へ通う傍ら、毎週のように店へと足を運びにやってくる。最初こそ覚束ない手先、関節も硬く、緊張が窺えた。時にはシャンプーの水圧に耐えられず、天井や5〜6m離れた向かいのソファーを濡らす事もあった。誰もが一度や二度通る道。ここでシャンプーに対する恐怖心が芽生えてしまいやすい。ところが彼女は違った。“明るく前向き”という表現そのもので、何が良くなかったかを自身で模索し、携帯電話の動画機能でシャンプー中の様子を撮影したいと。家でも自主トレーニングを重ねると話す意気込みからは“もっと上手になりたい”という思いが伝わってきた。半年ほどが経った頃には太鼓判を押せるほどの上達ぶり。彼女に合格を言い渡した。プライベートサロンを掲げ、一対一のスタイルを目指す中で技術的な指導やサロン内での講習は縁がなくなってしまうと覚悟をしていた。もし、彼女からの依頼がなければ、未だにその考えは変わらずにいたかもしれない。

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📖 ⑯

店の屋号から始まり、営業時間や定休日・価格設定やメニューに至るまで。一度決定してしまえば簡単に変更ができない項目と、時代背景や薬剤の進化に伴い、変更を必要とするものがある。新製品を取扱う際は吟味を繰り返す。“これだ”と思える製品と出会えるまで情報を貪る。実際に製品を手に取り、操作性や効果を確かめた後、ニーズに沿った新メニューや新製品を打ち出す。どの業界でも当たり前のように行われている事柄。正規販売店として相応しいか否か、審査や面談が行われるケースがある。まるで学生時分に進路指導室へ呼ばれるような心境と似ていた。製品を研究し製作する人間がいれば、その製品の良さを伝え歩く人間がいる。そして、その製品と自らのノウハウを生かし、技術の提供を行う者がいる。一つ一つの製品に様々な思いが込められている事に改めて気付く。世に出回る製品に対し、真贋の効く目を持ちたいと思い“成分表の解読”に明け暮れることとなったのも、自らが店を立ち上げ無責任な事はしたくないという感情が芽生えたからだった。

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📖 ⑮

仮のホームページからオフィシャルなものに切り替わったのが2012年5月。現状のホームページとは違い、カテゴリーは大きく分けて4つ。最低限必要な情報と予約状況の提示。新しい情報の提供を示すインフォメーション。トップ画面の更新やお知らせを自らが行なうも、仕事柄かパソコンを扱う作業に経験が追いつかなかった。連日キーボードを叩き、マウスの操作という作業には苦悩の連続。加えて専門知識も乏しいわけだから、ホームページ製作の担当者には手を焼かせてしまった。「少しずつ覚えていきましょう」と手引きしてもらった甲斐と、友人からの指南もあり“触るのが怖い”から“触っていて楽しい”に変わったのも開店初年度だった。少しずつコンテンツを増やし、ホームページが華やかに。“no217”の検索がトップで表示されるようになった時は何とも表現しずらい嬉しさと恥ずかしさがあった。

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📖 ⑭

御堂筋とは“目と鼻の先”であるものの、オフィス街のテナントビル2階という立地。何もしなくとも周知してもらえる、なんてことはない。仕事のペースが掴めるようになると空き時間は近隣への挨拶回り、名刺交換だけではなく自身も客として伺う。手段を選ばず、顔と名前を覚えてもらえるよう努め、“ビックマウス”と“虚勢”を手にしたつもりだった。それでも此の期に及んでなお“羞恥心”が邪魔をする。思うように言葉が出ない。そんな時に店舗訪問へやってくる謂わば“営業のプロ”からノウハウを教わることができ、おかげで営業のコツを掴むことができた。後に『営業に来たよ』を建前に予約を取りに来てくださるなんて思ってもいなかった。

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📖 ⑬

オープン前の準備期間中に対し、開店してからの時間の感じ方は異様なほど早かった。気がつくと季節は変わり、半袖で過ごせるようになっていた。立地による美容室での繁忙時期や時間帯は異なる。オフィス街という事も重なり、最終電車に揺られる日が続いた。この頃からだったか、通勤手段を変え、さらに定休日を金曜日と定めた。その当初、美容室では珍しいとされたオンラインでの予約システム。“一対一”のサロンスタイルであるがゆえ、予約のご連絡への対応が要だと感じた。ホームページにて予約状況を提示し、現状をあらかじめご確認いただく。そんなシステムがあれば良いなと思っていた。初めてのメール予約を頂いたのは夕暮れ時の中之島。用事があったのだろう。何を理由にそこに居たかまでは覚えがないものの、ケータイに届いた“ご予約の通知”につい声を上げてしまった事を記憶している。

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📖 ⑬ 217のはじまり -2-

それはまるで映画のエンドロールから逆回転でタイトルへと戻る様だった。少し変な汗をかいた。オープン当日にまるで跡形もなく店内が消えてしまう描写のようにも思えた。なんだってオープンしたばかりに縁起でもない事を思うんだろう。不安に駆られながらその不思議な体験をシャンプー中のゲストへ伝えると、ガハハと大きく笑われた後に「いよいよ安藤君も、いち店主への一歩を踏み出したんだね。お店ってさ、店主が自分の店を好きになり過ぎたらダメなんだよね。一歩身を引いて考えないとさ、ゲストは窮屈だもん。それに、お客さん自身が店を一番好きでいてもらえる事が大切だし、そんなゲストが集まる店のオーナーは幸せだと思うな」と。パズルのピースがはまる気がした。
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📖 ⑫ 217のはじまり -1-

通常通りの手の動き。シャンプー台の高さ、シャワーヘッドの取り回し、水圧もしっくきた。初めてのゲストをシャンプーしている最中に安堵する自分がいた。2ヶ月間ものあいだ鋏を握る代わりに触れたことのない工具を手にしていた。もしかすると感覚が鈍るのではないかと危惧したが、杞憂に終わった。すると、次に感じたのがココは何処だろう…という違和感。とても不思議だった。予約表には以前から担当させていただいているゲストのお名前が並ぶ。にも関わらず、自分が立っている場所に覚えがない。久々のシャンプーで緊張していたのは確かだ。だったら呼吸を整えようと姿勢を正す。すると、今朝仕上がったばかりの店内が猛スピードで躯体へと戻っていく光景を目の当たりにする。

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📖 ⑪ 2012年2月28日

朝の6時頃だったか、仕上げの掃除を済ませたテナントを後にし、友人が運転する車の助手席に座っていた。連日のように徹夜続きで曜日の感覚もあやふや。時間の概念もしっかりしたものではなかった気がする。それでも気持ちは自然と前を向いていた。シャワーを浴びるため、一旦自宅まで送ってくれた友人は大阪へ出てきた18歳の頃に出会った男性。美容師として駆け出しの時代からずっと支えてくださるゲストの一人でもあった。いつか自分の店を持つ事を夢見て話を聞いてもらい、その度に『応援してるよ』と背中を支えてくれていた。紆余曲折ありながらも信じた夢に背を向けず、開店を迎えるに至った。

その日、車内からみた朝陽は早朝にも関わらず、暖かくてとても輝いていたような気がする。

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📖 ⑩ 2012年2月 -5-

机上での審査は良好とし、内装工事中の現場では突貫での作業が行われていた。時間との闘い。日々変わっていくその姿に一々感情的になっている余裕などなく、手にしたケータイで写真を収めるのが精一杯だった。2月も後半へ差し掛かると、シャンプー台やらの重機や商材、スクラップ工場で譲ってもらった廃材のインテリアが届く手筈となっていた。内装工事が終わらない限りテナント内に運びこむ事ができず、困りあぐねていた。そんな時はビルの管理人が空きスペースを利用して良いと許可してくださった。ゲストが様子を見にきてくださったり、既に持ち場が仕上がったはずの職人達が再度確認に訪れたり。最後までいろいろな方達が支えてくださった。舵を失い、暗闇で蹲ったままの泣きっ面は、いつしかその面影がなくなっていた。

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📖 ⑨ 2012年2月 -4-

内装工事の着工は2日後だった。もともとビルの内外装を担当されていただけあって手筈も早かったが、なによりも嬉しかったのが集まった職人達の表情に少しも曇りがなかったことだった。複数の案件を同時に熟しているにも関わらず『事情は聞いてる。後は任せろ』そう言わんばかりの眼差しに何度も救われた。ようやく風が吹き始めた。そんな気がした。残された期日はおよそ3週間。それまでに内装工事はもちろん、並行して美容室開業の仮申請を手続きしなければならない。申請には美容師免許・管理美容師免許・開業申告書・健康診断書などが必要となり、それに加えて現場での採光量や二酸化酸素の検知。シンク等の水道周りの設置が適切か、衛生管理法に基づく処置が行われているか等、様々な項目をクリアしておかなければならない。幸いにもここに関しては保健所担当員との面識が持てていたので、概ね確定が望めた。

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📖 ⑧ 2012年2月 -3-

“やっぱりな…?“ 自分の顔は再び呆気に取られた表情へ。実はこの男性、ほぼ同時期にtakekou BLDGの改装を任された建設会社の代表だった。後から聞いた話しでは、他のテナントの方達やビルの改装を手がける職人さん達の間で、素人ながら連日解体作業を行っているものの進行状況が思わしくないのでは?と話題に上がっていたらしい。そのことが目の前に立っている男性の耳へも入り、それで様子を見にきてくださったとの事だった。何がなんだかわからない状態できょとんとしていると、男性は続けてこう言った。『店内のイメージはできていますか?』『我々はデザイナーではない。店内のデザインは一緒に作りますよ』と。そして最後に『なにがあっても、2月中にオープンできると信じてください』と。

📖 ⑦ 2012年2月 -2-

戸惑いを隠せない自分に対し、先に作業着姿の男性が声をかけてくれた。きっとその男性は驚いたはずだ。自分の顔はまるで店舗オープンを目前とし「これから頑張ります」という覇気など失われていたはずだから。それでも男性は静かに、そしてとても優しい表情で『どうしたんですか。全て話してください』と続ける。その声につられるよう嗚咽と共にこれまでの経緯を話した。どれぐらいの時間を要したか覚えがないものの、全ての思いを告げることができた。その後に男性は思いのほかあっさりと『やっぱりな』と口にする。

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📖 ⑥ 2012年2月 -1-

2月になったからか、それとも暖房器具が使えないからか。とにかく寒かったのを覚えている。それに加え、備わっていた照明も解体作業中に取っ払ってしまい、裸電球が二つほどしかない。何もできない事を知りながらも、その日もテナントへ来ていた。隅に腰掛け、背中を丸くし、ぼんやりと部屋を眺めていた。気がつくと日は沈みきっている。静まり返ったテナントと、まるで時が止まってしまったかのような心境。ゲストへ“オープンの遅延告知”を決意しようとしていた。すると、それに合わせるかのように二階エレベーターの扉がゆっくりと開く。それはまるで静寂を切り裂くような眩しさで、“一筋の光“とはこういう事を指すのかもしれないと思えたほどだった。

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📖 ⑤ 2012年1月 -5-

チリ・ホコリが舞わなくなった。オープンの予定まで一ヶ月を切ろうとしている。これが小説なら、ちょうど半分を過ぎたあたりだろうか。そこから先のページが一瞬にして白紙になった。変化の無いテナントを見つめ続け、何度も涙を堪える。オープンを待っていてくださるゲストの方々、独立を志す事に対し背中を押してくださった以前のオーナー、夜中であっても快く改装を手伝ってくれた友人。自身を支えてくださる方達へ『約束が守れません』『もう少し時間を与えてやってください』そう伝えなければならない不本意な気持ちが込み上げる。それと同時に、なぜこうなるのかという悔しさから白紙になったページと気持ちは、黒く、黒く、塗りつぶされていった。

📖 ④ 2012年1月 -4-

オープンまでの期間中。ドラマチックな展開など期待していなかった。課題やトラブルは付き物。それでも円滑に進むよう望んでいた。過去に読んだ小説の中に“人を傷つけない“をポリシーとしたギャング達が事を起こし、決まって『ロマンはどこだ?』と口にするシーンがあったのを思い出す。そのフレーズを目にする度、次はどんな事が待ち受けているのだろうとページを捲るのが楽しみでならない。小説は愉快で痛快な描写が多かった。ところが、実際のドラマは愉快でもなければ痛快でもないようだ。雲行きが怪しくなってきたのは解体作業が終わった1月の後半。綺麗さっぱりもぬけの殻となったtakekou BLDGの二階は、まるでギャングでもやってきて全てを持ち帰った後のような姿。その後には真新しい内装用の材料や、それを組み付ける職人達の声がある予定だった。

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📖 ③ 2012年1月 -3-

以前はオフィス仕様だったテナントの解体作業を2週間で終わらせ、床材として使用されていた正方形のカーペットを何十枚と重ねると、まるでカットチェアーの様になった。「じゃあ、鏡も必要だ」って事で、その辺に転がっている廃材を適当に立て掛ける。カウンセリングから最終の仕上げまでを自らが担当させて頂く。そんなコンセプトはスタイリストになった頃から温めていた。長年目指してきた形が少しだけ見えてきた喜びと、ホコリ塗れになりながらも無事に解体作業を行えた安堵。腰痛と疲労感は微塵も感じられなかった。公約通り2月中にサロンをオープンできるに違いない、そう思い込んでいた。

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📖 ② 2012年1月 -2-

解体作業の経験など無かった。それに加えて知識も皆無。与えてもらった期限は2週間で、出来るところまでという約束。ホームセンターへ行き、それらしい道具を漁りテナントへ戻ると考えるより先に行動へと移った。無心で床材や壁、天井を剥がし始める。朝から晩まで、時には夜を徹した日もあった。解体のコツを掴めるようになるとテナントへ足を運ぶのが楽しくてならなかった。腰痛に耐え、ホコリ塗れになりながらも日に日に躯体へと近づいていく姿は、長年佇むビルの一部が徐々に本来の形へと戻るように見えた。それを目の当たりにする度に嬉しいという感情が湧き上がる。まるでビル本来の姿と店舗としての始まりの姿を照らし合わせるかのようだった。

📖 ① 2012年1月 -1-

「解体作業は自分でさせてもらえませんか」店舗デザイナーに対し、そう頼んだのは2012年の正月が明けて1週間が経った頃。サロンのオープン予定まで2ヶ月を切っていた。年始早々に内装工事への着手が難しい事も、素人が解体を志願する事も無茶だと分かっていた。最初こそダメ元での志願。思いのほかあっさりとOKが貰えたことに驚いた。振り返って考えてみれば正月ぐらいゆっくりと酒を嗜み、特番に目をやるぐらいの気持ちに余裕があっても良かったかもしれない。ただ、そこから先に待っている経験は想定外の事態になるのではないか…。そんな予感が少しだけし始めていて気持ちが落ち着かなかった事を覚えている。そして、同時にそれが“ただの思い過ごし”になるようにも祈っていた。